日本で使われていた鎧は、鉄砲の普及によって徐々に防御力が低下していきました。15世紀から16世紀にかけて、中国から伝来した火縄銃が日本に伝わり、17世紀にはフランスやオランダから鉄砲が輸入され、鉄砲の使用が一般化しました。

当時の日本の鎧は、主に鉄板を縫い合わせたもので、鉄砲に対しては一定の防御力を持っていましたが、完全に防ぐことはできませんでした。特に、火縄銃やフランス製の鉄砲など、威力の高い銃火器に対しては、鎧の防御力が及ばなかったとされています。また、鉄砲が直接当たらなくても、鉄砲弾の飛沫や破片が鎧を貫通して負傷することもありました。

16世紀後半から17世紀にかけて、鉄砲の使用が一般的になるにつれて、鎧は徐々に重くなり、機動性が低下していきました。また、鎧の強度を高めるために、鎧の表面に装飾を施すことが一般的になり、防御力が低下する要因となりました。

総じて、日本の鎧は鉄砲に対して一定の防御力を持っていましたが、威力の高い銃火器に対しては完全に防ぐことはできず、重くなり機動性が低下するという欠点がありました。